安価な海外製品の流入で打撃を受けた国内産業は少なくない。繊維物が多い帽子業界もその影響をまぬがれなかった。高橋ゆかりさん(48歳)はインハウスの帽子デザイナーとして、変化の激しい業界を長年見つめてきた。2008年に自ら立ち上げたブランドでは、ファストファッション化する市場の流れに対抗し、かぶり心地にこだわった国産の婦人帽を提案している。
帽子ケースに魅了され、いつしかデザイナーに
このコーナーでは「東京生まれのファクトリーブランド」を紹介してきた。
しかし、服飾雑貨のブランドを展開しているのはメーカーだけではない。
ショップに製品を卸す問屋も自社ブランドを持っていることが多い。
帽子問屋の栄光堂もそのひとつ。高橋さんは同社の創業メンバーであり、
旗艦ブランド、ズキン(Zukin)のチーフデザイナーを現在つとめている。
20年のキャリアを持つベテランだが、この世界に入ったのは偶然だった。
「高級な帽子を入れる丸い化粧箱がありますよね。
実は学生時代にあの箱が大好きになってしまったんです。
コレクションしたかったのですが、探そうにも情報がありません。
たまたま帽子問屋の人と出会って、その人に箱がほしいといったら
『そんなに好きならうちで働かないか』といわれてしまって(笑)」
「箱屋にならずに帽子屋になっちゃった」と高橋さんは笑う。
社会人になって初めて任された仕事は、百貨店への営業。
当時は女性の営業職はめずらしく、風当たりは厳しかった。
「もともと人づきあいが好きなほうだったので、
営業の仕事に向いていたんだと思います。
売り場の数字もいい感じで伸びていきました。
私としては企画の仕事が早くしたかったのですが、
入社して5年目にやっと希望の部署に異動できました」
高橋さんは学生時代、洋服のデザインを学んだことはあったが
帽子のデザインに関しては素人も同然。
「それでも曲がりなりにデザイナーになれたのは人に恵まれたから」だ。
「帽子のことは何でも知っている上司がいて、
その人からは『いい帽子をたくさん見ろ』といわれました。
帽子の作り方を学ぶために、個人でアトリエを構える先生の
お宅にも3軒ほど、勉強のために通わせてもらいました。
時代もよかったんです。当時は国産品が主流で
高くて手の込んだ帽子でも売れていましたから」
だが、バブル景気が終わった後の1990年代になると、
帽子業界が次第にさまがわりしはじめた。
海外で生産された安価な帽子が市場に出回るようになり、
問屋やメーカーに対する価格のプレッシャーが強まっていった。
「特に繊維関係のメーカーは一時期、壊滅的な打撃を受けました。
価格破壊にくわえて過剰生産も起こり、問屋も厳しい時代を迎えました。
そのころ私は10年勤めた会社をやめて別の問屋で働いていたのですが、
そこも経営がゆきづまるのは時間の問題という感じでした」
すでに二児の母となっていた30代の高橋さんは
デザイナーを続けられるかどうかの岐路に立たされた。
腕ききのつくり手がいるから、いい帽子ができる
一度は仕事をあきらめようと思った高橋さんだったが、
帽子を新たに扱いたいという服飾雑貨の問屋から声がかかり、
以前の同僚たちと栄光堂の中に帽子事業部を新設することになった。
「新しい職場ではプロデューサーとしての能力が求められました。
大変だけど、いままでの経験を集大成して、新しい帽子ブランドを
絶対成功させてやるぞって決めたんです」
「ズキン」は高橋さんのそんな切実な思いから生まれた。
コンセプトは「高橋さん自身がかぶりたい帽子」。
「いままでは百貨店の売り場で売れる帽子という大前提がありましたが、
新しいブランドではその考えをあらためて、もっと自由に考えました。
30代のアクティブな女性や、私のように40代で子育てが一段落し、
生活に余裕が出てきた女性が手にしたくなる帽子を形にしました」
同ブランドは毎年300アイテムほどの新作をリリースしているが、
すべてに共通しているのは「かぶり心地のよさ」。
それには高い技量を持つ国内メーカーの協力が不可欠だ。
「帽子のかぶり心地は最後の縫製で決まるんです。
誰がデザインしたか、パターンを組んだかということよりも
どこのメーカーで作るかが重要な要素になります。
その点、問屋は全国のメーカーとつながりがあるから、
適材適所で商品をプロデュースできる。それが強みですね」
ベーシックなデザインが多いが、トレンドを無視しているわけではない。
今シーズンの展示会では「メルヘンアウトドア」をテーマに
「山ガール」のようなアクティブな女性にもアプローチを試みている。
「ブランドを立ち上げて今年でちょうど5年目です。
少しずつ売り場もふえてきましたが、まだまだやりたりていません。
目標は『ズキン』の直営店を出すこと。通勤にも帽子をかぶるような、
帽子好きのおしゃれな女性がふえたらうれしいですね」
最後に、帽子を入れる丸い箱はいまでも好きか聞いてみた。
「もちろん。子どもたちが巣立ったらコレクションを再開したい」との答え。
高橋さんの帽子人生は、いま折り返し地点を過ぎたところだ。