「過去の模倣をするだけでは伝統工芸に未来はない。発想を変え、素材に向き合えば、答えが見えてくる」
多田司さん(72歳)は、印伝のバッグや財布を30年以上にわたり、作り続けている。頑固一徹な職人だと思われるかもしれないが、感性はアーティストのようにしなやか。伝統的工芸という枠組みに固執せず、70歳をすぎてもなお、新しいデザインと素材開発に積極的に取り組む。目指すは、印伝のリデザインだ。
中学卒業後、袋物職人に弟子入り。40代で訪れた転機
印伝は鹿のなめし革に、漆を引き、
細かな模様をつけた品物の総称を指す。
山梨の甲州地方が主要産地とされるが、
じつは東京でも江戸時代から制作されている。
「印伝は、素材である漆皮(盤)を作る職人と、
それを品物に仕立てる職人がいて完成します。
私が印伝の袋物を作りはじめたのは40歳のとき。
それまでは爬虫類の袋物が専門だったんです」
多田さんは1942年に兵庫・淡路島で生まれた。
中学卒業後、大阪の袋物職人のもとに丁稚入り。
爬虫類を使ったバッグ作りの技術を学ぶため、
21歳のときに上京した。
江戸三紅印傳のバッグはすべて国内で生産されている。多田さんが手にしているのはパッチワーク印伝のバッグ。
「上京したのは東京オリンピックの前年です。
東京だけではなくて日本中が活気に満ちていました。
10年間、親方のもとでみっちり修業したら独立する、
そう決めて、一生懸命、先輩から技を盗みました」
爬虫類から印伝の世界に転向したのは、43歳のとき。
野生動植物の国際取引を制限するワシントン条約が
間もなく発布されると聞いて、強い危機感を抱いた。
「結果的に爬虫類の革はいまも流通しているから、
印伝の仕事に転向する必要はなかったのだけど、
当時は、自分の仕事にもう先がないと思いました。
途方に暮れていた矢先、大阪のある問屋さんから
『印伝のバッグを作ってほしい』と頼まれました。
これが大きな転機になりました」
「必要に迫られて印伝の仕事をはじめたわけです。
でも、この仕事をずっと続けてこられたのは、
やっぱり印伝という素材が好きなんでしょうね」
着物に由来する美しい小紋柄、つややかな漆の光沢と
しっとり肌になじむ鹿革の手ざわり。
日本的な、繊細な美の世界が印伝にはあるという。
お客さまの要望から生まれた長財布は最近のヒット作。伝統的な素材を使いながら、ファッション性と機能を加味した。
もったいない精神から生まれた、パッチワーク印伝がヒット
多田さんは「江戸三紅印傳」というブランド名で、
オリジナルのバッグや財布を数多く手がけている。
その名を広く知られるようになったのは、
印伝をパッチワークにした作品がヒットしてからだ。
「パッチワークにしたのは、理由があるんです。
ひとつは、革を裁断したときに出る端材を再利用するため。
もうひとつは、サイズが大きなバッグを作るためです。
印伝の素材となる鹿革は原皮がもともと小さいのですが、
パッチワークにすれば原皮サイズを気にしなくて済みます」
創意工夫は、パッチワークだけにとどまらない。
トラッドな印伝にも女性心をくすぐる仕掛けがある。
例えば、下写真の長財布。
印伝ではめずらしい、ワイン色の革を使い、
内張りには、花柄の型押し牛革を使うなど、
適度なファッション性も加味してあるため、
若い女性にも人気が高い。
パッチワーク印伝の制作風景。3cm角に裁断した漆皮を台紙に貼り付ける。単純だがセンスが求められる作業だ。
パッチワーク印伝の発表から10年。
いま多田さんが取り組んでいるのが
オリジナルの漆皮(盤)の開発だ。
「今度は、七十の手習いです(笑)。
自分で漆皮を作りたい気持ちはずっとあったんですが、
場所の問題があって、なかなか実現できませんでした。
2年ほど前に漆を塗る作業場をガレージの中に作ってからは、
日夜研究にいそしんでいます。来年には従来の欠点を克服した、
新発想の漆皮が完成すると思いますよ」
伝統とは創造なり。多田さんの仕事ぶりを見てそう思った。
取材・文/菅村大全、撮影/吉崎貴幸