井上修一さん(50歳)は、孤高の人だ。寡黙で大勢でたわむれるのを嫌う。数年前まで柔道場の師範を務めていたこともあり、野武士のような近寄り難い雰囲気がある。だが、生み出すバッグは繊細で女性にも人気がある。作り手はたくましく、作品はスマート。「ウルフ&ドッグ」というブランド名は、作り手のパーソナリティーとも重なっていた。
バッグを作る側、売る側の両方で経験を積んだスペシャリスト
井上さんは自分のことを多く語る人ではない。
同様に、彼がデザインした新作の馬革バッグも
一見すると、飾り気がなく、武骨に見える。
しかし、手にすると思いのほか軽く、手触りはやわらかい。
細部を見ると、素材の切り替えやポケットの位置など、
実に細かいところまで気を配っていることがわかる。
論語の一節に「君子は遠くから見ると威厳があり、
接してみると温かい」という孔子の言葉があるが、
そんな形容が商品にも作り手にも当てはまる。
井上さんは父の会社(井上鞄製作所)に30歳で入社するまで、
12年もの間、バッグ業界を点々と渡り歩いてきた。
有名な吉田カバンの営業職を皮切りに、
メーカーに2年、問屋に6年、小売店に4年間勤めた。
バッグの製造、販売、流通すべてを経験した
スペシャリストといっても過言ではない。
「父の会社で働きはじめて、
知らないことがまだまだあることに気づきました。
バッグと財布の工程の違い、ミシンのわずかな調子の違い、
父は職人上がりで『見て覚えろ』というタイプだったので、
お抱えの職人の元へ、毎日のように通いました」
職人と同等に渡り合える見識を身につける一方、
それまでの人脈を生かし、新しい得意先も開拓した。
同時に将来を見越し、オリジナルブランドも立ち上げた。
しかし、当時はバブル経済崩壊後で、
市場の構造が大きく変化していた時期。
思うように販売が伸びず、半年で撤退を決めた。
まずは足元をしっかり固めようと、
相手先ブランドのバッグを作る仕事を
父とともに地道に続けてきた。
一方で、オリジナルブランドを
いつの日か復活させるべく、
自分で革を仕入れ、天然藍で染めたり、
完成したバッグを後染めしたりして、
自分のブランドにふさわしい素材を
仕事の合間を縫って探し求めた。
飽くなき探求心が他社と似て非なるバッグを生み出す
2010年に立ち上げたウルフ&ドッグは、
井上さんが満を持して始めたブランドであり、
これまでのキャリアをかけた再挑戦でもある。
「きっかけはよく知る革問屋からの電話でした。
おもしろい馬革があるから、ぜひ見に来いと」
見せられたのは、
白いワックスで表面をコーティングした、
タンニンなめしの馬革だった。
馬革は表面が滑らかで、軽いという特徴がある。
反面、際立った特徴のある革が少ない。
この革なら勝負できる、直感でそう思った。
「産みの苦しみが始まったのはそれからです。
この素材を生かすには、どんな形にすべきか。
寝ても覚めても、ひとりで酒を飲んでいるときも、
バッグのことばかり考える日が2年間続きました」
デザインの壁に当たり、
外部のデザイナーに仕事を依頼したこともある。
だが、自分のイメージを思うように伝えきれず、
最終的には自分でラフを描き、信頼のおける、
サンプル職人と二人三脚で試作品を作った。
試作品が完成すると、徹底的にモニターし、
使い勝手や耐久性を高めるために
細部の設計を何度も見直した。
「3ヶ月で10本の試作品をつぶしました。
改良を重ねた結果、ほぼ100点に近い製品が
できあがったと自負しています」
いまは、いちバッグブランドとして提案しているが、
今後は革のブルゾンなどもシリーズに加え、
ファッションブランドとして提案したいと考えている。
井上さんはメーカー社長という肩書であるものの、
自分でバッグをデザインし、製作することもできる。
そうであるなら、自分の理想をもっと追求すべく、
個人のバック作家に転向する気持ちはないのだろうか。
「柔道の創設者である嘉納治五郎は
『自他共栄』という言葉を大切にしていました。
バッグ作りも同じ。作る人、売る人、結ぶ人、
皆がハッピーになれる物作りが私の理想です」
「作家というスタンスにはあこがれますが、
付き合いのある職人といまの仕事を続けていきたい。
人とのつながりで生まれるメイド・イン・トーキョー。
これがウルフ&ドッグが目指すところです」
そう語る井上さんは、父親の職人気質だけでなく、
下町の人情味もしっかりと受け継いでいた。