「自分の生き方を模索しているとき」が青春の定義だとすれば、瀧浪孝さん(30歳)は、いま青春のまっただ中にいる。18歳で靴作りの道を志してから、「ほかにないもの」を生み出そうと、がむしゃらに走り続けてきた。その作品は、ひと言でいえば、前衛的かつファッショナブル。だが、一点物ではなく、どれも量産を前提にデザインされている。アーティストとアルチザン・・・相異なる才能を持つ、若き作り手の素顔に迫った。
思い立ったら即行動。全力で駆け抜けた20代
下町の風情が色濃く残る、
台東区・入谷の路地の中に、
瀧浪さんのアトリエはある。
着古したスウェットにエプロン、
そして無精ひげといういでたちは、
いかにも職人のようだが、
工房の中に点在している作品は、
いい意味で職人的ではない。
「洋服はたくさんブランドがあって
選択肢も豊富にありますよね。
それなのに靴、特に紳士靴には
遊び心のあるものがあまりありません。
それなら自分で作ってしまおうと思ったのが
この仕事をはじめたきっかけです」
文化服装学院の卒業生で裁縫が趣味の母と、
工作機械の営業マンで日曜大工が趣味の父。
2人の間に生まれた瀧浪さんにとって、
「必要なものを自分で作る」ことは、
幼いころからごく自然な行為だった。
思い立ったら即行動に移す瀧浪さんは、
高校卒業後、婦人靴店でアルバイトをしながら、
革靴作りのカルチャースクールに1年間通った。
「靴作りの流れは理解できたのですが、
自分ひとりでも靴を作れるだけのスキルと
大量生産のノウハウ、両方を学びたいと思って、
都内の紳士靴メーカーで働くことにしました」
メーカーには3年弱、在籍し、
量産に必要な知識と経験を得ることができた。
退職するとすぐ、実家の近くにアトリエを構え、
作品を作っては小さな展示会に
出展することを続けた。
知人から靴作りの創業支援施設が
台東区・浅草にできると耳にすると、
すぐに応募し、2007年からは
ブランドとしての活動を本格化させた。
「走りながら考えるのがぼくのスタイル。
靴作りも同じで、サンプルができると、
そこから何度も修正を重ねていきます。
製作をお願いしている職人さんには
嫌われているかもしれませんね(笑)」
外国人が見てもあっと驚く、遊び心のある作品を求めて
とにかく、思い立ったら即実行。
そんなダイナミックなスピード感が
彼の作品にもみなぎっている。
多少荒削りでも、
自分の感性を信じ、行動に移すところは
アルチザンというよりアーティストに近い。
「意識しているのは、
ファッションデザイナーです。
靴作りだけに固執しているわけでなく、
もっと幅広く、ファッション雑貨も
将来は提案したいと思っています。
ブランド名を個人名にしたのもそのため。
海外で販売するときも、名前なら
日本製だとすぐにわかりますし」
ファッションブランドとしての
布石ともいえる作品が
2011年の『ジャパンレザーアワード』の
雑貨部門賞を受賞した総革の室内履きだ。
イタリアの高級ソファのような、
ゴージャスで独創的なデザイン。
ソールには革靴の製法を応用しており、
見る者を驚かせる。
「量産のきく製品でも、
他人をあっといわせるデザインをしたいですね。
そのために革製品だけでなく、
デザイン雑貨もよくチェックしています」
なるほど、
その感覚はプロダクトデザイナーの
遊び心に通じるところがある。
そんな瀧浪さんは、2012年12月に
靴メーカーに勤務する女性と結婚。
同時に現在の場所へアトリエを移した。
頼もしいパートナーと新天地を得た風の男が、
30代も疾走し続けるのは間違いなさそうだ。