本特集では革製品を中心とする東京のファクトリーブランドを紹介してきた。Petrarca(ペトラルカ)は、そうした地場のブランドとは一線を画す。都内の一等地に直営店を構え、感度の高い女性が集うセレクトショップや高級ブティックに限定し、ラグジュアリーなハンドバッグを展開している。台湾や香港の百貨店では、ヨーロッパのブランド勢とペトラルカのバッグが同列に並ぶ。目指すはアジアを代表するハイブランドだ。
生き残りを賭け、兄と妹でバッグブランドを立ち上げる
そのエレガンスなデザインとは裏腹に、
ペトラルカのバッグは東京の下町にある工房で
ひとつひとつ丹念に作られている。
工房の名前はキクヒロ。
バッグ職人だった先代が1970年に創業した。
現在は息子の弘太さん(44歳)と娘の由美子さん(41歳)が
兄弟ならではのあうんの呼吸で、経営を切り盛りしている。
由美子さんは百貨店勤務を経て、
1995年にキクヒロに入社した。
2007年に兄の弘太さんが入社するまでの12年間、
キクヒロの屋台骨を支えてきた。
「百貨店は私たちの世代にとってはステータスでしたが、
いまの若い人たちは百貨店にあまり足を運びません。
それなら自分たちで店を作って、お客さまと直に接していこう
それが兄と私の一致した考えでした」
ペトラルカを立ち上げたのは2009年。
専門のコンサルタントや外部のデザイナーを起用し、
丸1年かけてじっくりコンセプトを練り込んだ。
ペトラルカは、イタリア人の名前で、
「音の響きのよさ、親しみやすさで決めた」と由美子さん。
「都会的で趣味や仕事、プライベートにも一生懸命。
好奇心旺盛で目的達成のためには努力を惜しまない――
そんな活動的な女性がペトラルカのターゲットです」
世界一厳しい日本のマーケットでまず実績を作りたい
ペトラルカを立ち上げた2009年といえば、
前年9月に起こったリーマンショックにより、
日本経済が深刻な不況に陥っていたころだ。
「ある意味、マイナスからのスタートでした。
でも、一番厳しい時期に始めたからこそ、
芯の強いブランドになってきたと思います」
消費者との接点を持たないメーカーが、
都内の一等地にテナントを出し、
高級路線を維持するには、
並大抵ではない努力が必要だ。
ブランドを立ち上げて4年になるが、
連日、国内外の売り場と工房を行き来し、
休日どころか寝る間も惜しむ日々がいまも続く。
楽な仕事ではないが、それでも続けているのは、
「自分たちの売り場を持ったことで
お客さまの感謝の声がダイレクトに届くから」
と由美子さんはいう。
一方、兄の弘太さんには「日本の高品質なバッグを
海外の人にも知ってほしい」という大きな夢がある。
台湾、香港への進出はその第一歩。
ゆくゆくは本場ヨーロッパの市場を開拓するつもりだ。
「インポートのバッグが日本で根強い人気があるのは
消費者が品質だけでなく歴史も買っているからです。
歴史は競ったところで勝てませんが、
日本の丁寧な物作りは本場にも決して負けません」
目下、兄弟2人が力を入れているのは
「ペトラルカだと、一見してわかってもらえる、
シンボリックなアイテムを充実させること」だ。
黄金色に輝くペトラルカのエンブレムには、
父から受け継いだバッグ屋のプライドが
しっかりと刻まれていた。