台東区の御徒町から蔵前にかけた地域は、「袋物の町」として知られている。この地で1961年に生まれたラモーダヨシダは、数々のアパレルブランドから厚い信頼を得る財布メーカーだ。代表の吉田昌充さん(50歳)がけん引する、オリジナルブランド『ミック』は、豊富なラインアップで「あなたの個性にぴったり合った財布」を目指す。
コンマ単位で図面を起こす、緻密(ちみつ)な財布作り
袋物の町には、通称「倅(せがれ)の会」がある。
このエリアにある袋物メーカーの後継者たちが、
酒を酌み交わしながら、業界の未来を語り合う。
その一員である、老舗の若だんないわく、
「吉田さんは根っからの物作り好きですよ」
本社地下にあるアトリエショップを訪れて、
ひと目でその意味が分かった。
財布作りの工程が博物館のごとく詳細に展示され、
かたわらでは、修理担当のスタッフが
使い込まれ、糸がすり切れた財布を直していた。
見ているだけで、財布屋の気概が伝わってきますね。
そう話しかけると、吉田さんは大いに照れた。
「財布作りは工業製品のように緻密(ちみつ)なだけに、
私の性に合っているのかもしれませんね。
趣味も自転車を分解して、組み立てることですし・・・」
ラモーダヨシダの前身である、
吉田製作所は1961年に創業した。
吉田さんの生家は、作業場とひとつづきになっており、
家のあちこちに革の端切れや型紙が転がっている生活だった。
「型紙を作った残りのボール紙を丸めて
住み込みの職人とチャンバラをしてよく遊んでもらったものです。
財布を作りが生活の一部で、当たり前の環境で育ちました」
財布作りの厳しさ、難しさを知ったのは入社してからだ。
「一般企業に4年間勤めた後、26歳で父の会社に入りました。
営業担当でしたが、もうスランプだらけ。
問屋さん、百貨店さんなど、皆さんに鍛えていただきました」
吉田さんが入社した70年、80年代は、
DCブランドブーム真っ盛りの時代だ。
それはたくさんのブランド物の財布を作ったという。
そんな百戦錬磨の吉田さんが一番気をつかうのが「設計」だ。
大小の革、内張りの布、ファスナーや口金など
財布は驚くほど多くのパーツからできている。
それぞれのパーツの形や寸法、革の厚みをコンマ単位で決め、
設計図を起こし、縫製方法や手順を決めなければならない。
「紳士物の財布はズボンの尻ポケットや
背広の内ポケットに入れることが多いので、
できるだけ薄く作らなくてはいけません。
でも、薄くすると、不格好なシワができたり、
かえって余計に厚みが出たりします。
そのあたりのさじ加減が腕の見せ所ですね」
「道具としての財布」を追求するブランドへ
『mic(ミック)』は、先代が1978年にスタートさせた、
ラモーダヨシダ初のオリジナルブランドだ。
売り上げは安定していたが、
2000年に吉田さんの采配で見直しが行われた。
リニューアルした『ミック』のコンセプトは、
「道具としての機能性を追求した、よそにはない財布を」だ。
見直しのきっかけは、友人の存在だった。
「友人がイメージしていた財布が、うちに存在しなかったんです。
そうか、財布の好みやニーズは、人それぞれだなと思いました。
それで、うちにもひとつくらい『そういうのならあるよ』といえる、
よそにはないシリーズを作りたいと思いました」
『ミック』を見直した理由は、もうひとつある。
財布職人の行く末を案じたためだ。
「日本の財布作りの技術は非常に特殊です。
これだけ緻密(ちみつ)に薄く、余計なシワが入らないように
財布を作っている国はほかにないでしょう。
売れるからといってその型だけを作り続けていると、
その型が得意ではない職人に仕事がいきません。
少量ずつでもいろいろな型の財布を作って
それぞれの得意分野を持つ職人を
日本に残していかなくてはと思いました」
2010年からは「かわいらしさ×使い心地」がモットーの
レディス財布ブランド、『ミクスコ』もはじまった。
こちらは若い女性社員が中心となって立ち上げた。
根本由香理さん(32歳)は、その一人。
物作りにかかわりたくて2010年に入社した。
入社2年目を迎え、気持ちに変わりはないかたずねると、
「物作りに近い現場で働けて、とても幸せです」とニッコリ。
物作りが好きな人たちが生み出す財布がここにはある。