坊主頭に、くたびれたジーンズ姿。ラフなファッションからは、彼が日本最大のベルトメーカーの中堅社員だと想像つかないかもしれない。しかし、彼が手がけたオリジナルブランドの最新作を見れば、トップメーカーの最前線で経験を積んだプロだとわかる。目指すは「生産しやすく、まねのできない」レザーブランドだ。
イラストレーションの才能を、ベルト作りで開花させる
「子どものころは漫画ばかり読んでいました(笑)。
一番好きなのは鳥山明の漫画。彼の描く線が好きなんです」
原田さんは幼いころをこう振り返る。
高校時代は、アルバイトをしては原宿に通い、
好きな洋服を買い集めていた。
卒業後はファッションの専門学校に進学した。
だが、学校で教えられる華やかなファッションと
自分が好きなリアルクローズとは隔たりがあり、
洋服を作る仕事に興味を失ってしまった。
在学中にはじめたイラストレーターのアルバイトを、
卒業してからも続けていければ、そう漠然と思っていた。
そんな彼が日本最大のベルトメーカーに
入社することになったのは、
たまたま見つけた求人広告がきっかけだった。
「革小物の企画営業募集という内容でした。
採用条件はパソコンでデッサンを描ける人。
よく知らない会社だけど、自分にもできそうだし、
家から電車1本で通えるし。
そんな軽いノリで応募してみたんです」
原田さんが入社した時期は、会社の変革期で
新しい得意先をどんどん増やしていたころだった。
3ヶ月間の研修が終わると、すぐに企画部に配属され、
先輩と肩を並べてベルトの絵をひたすら描かされた。
このときの経験がいまの原田さんを形作っている。
「ベルト作りはまったくの素人でしたが、
上司や得意先のデザイナーさんから
仕事を通じて学ばせてもらえました。
入社当時は会社で最年少だったので、
工場の職人さんにもかわいがってもらえました。
恵まれた環境だったと思いますね」
同時に革問屋や材料屋などの仕入れ先にも
同年代の頼もしい仲間が少しずつ増えてきた。
生産現場を見据えたプロフェッショナルな物作り
原田さんは22歳で入社してから、
日本最大のベルトメーカーという組織の中で
ワールドワイドに展開するアパレル企業と
切磋琢磨(せっさたくま)してきた。
オリジナルブランド、『ORO(オロ)』は
がむしゃらに働いた20代の集大成であり、
30代のこれからを占う試金石でもある。
「最初は実験ブランドだったんです。
OEM(相手先ブランド生産)では絶対にできない、
ラフなデザインや凝った材料のベルトを作ることで
会社の名前をまず知ってもらうのが目的でした」
2010年にブランドを立ち上げ、
丸2年が過ぎたころ、転機が訪れた。
会社単独で初めて開く展示会の企画を
原田さんが任されたのだ。
「見本市にコーナー出展するのではなく、
会社として展示会を開くわけですから、
まじめにならざるを得ませんでした(笑)」
まじめとは地味なものということではない。
値頃感、実用性、新規性を備えた
「製品」と作るということである。
いうなれば、原田さんの得意分野だ。
その新作のできばえは32歳という年齢にしては
老成しているといっていいほど、
プロダクトとしての完成度が高い。
重要視したのは「生産のしやすさ」。
一枚革を折り紙のように曲げ、縫製するだけなので、
ベルト工場のスタッフでも難なく作ることができる。
それでいてスタイリッシュなのは、
国内のタンナーといちから開発した、
両面仕上げの極薄レザーを使っているからだ。
「革は表が滑らかで、裏は毛羽立っているのが普通です。
でも、この革は裏側も滑らかに仕上げてあります。
こうすれば薄くすいた革を張り合わせる手間が省けます」
原田さんはこともなげにいうが、
表と裏を同じように仕上げた革など聞いたことがない。
タンナーにとっては前代未聞の仕事だったはずだ。
「ミニマルなデザインや素材にこだわるのは、
自分がベルトメーカーの人間だからかもしれません。
ベルトは革そのものよさを伝えられるアイテムですが、
反面、少しでも傷やシワがあると不良品扱いになる。
でも、革は自然のものですから傷はあって当然です。
だからこそ、素材が際立つデザインにしました」
ちなみに新作の名は「PeraPera(ペラペラ)」という。
その生みの親は、物作りの現場で鍛えられ、
ちょっとやそっとのことでは折れない、
骨太の男になろうとしている。